カテゴリー「旅」の記事

2012年4月11日 (水)

WEST AFRICA ~memory of africa~

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9年前のこの肌寒い季節、国は年中真夏の西アフリカのこと。
 
世界の旅にまわったセネガル、日本から西に最も遠くの岬。
明日はアメリカへ飛び立つその前の日に、アフリカの旅、最後の夕日を見にここへやってきた。
 
宿が決まり、洗濯物を干し、1時間ほど歩いて着いたのが正午3時頃。
夕日を待ち、一人ぼーっと砂浜から海を眺め、気分にのせギターを弾き、歌う。
すると、普段からこのへんにたむろしている現地人が寄ってきた。
アジアやヨーロッパでは、道や公園で歌っていると、通りすがる人たちはもの珍しげにお客さんとして僕のまわりに集まってきた。
でも、アフリカは違った。
 
 
僕は、激しくブルーハーツを歌う。
「俺は、この地域じゃ名の知れたラッパーだぜ」って、初めて聞く曲なのに、間奏のところにラップを入れてくる。
 
僕は、スローテンポで自分の曲を歌う。
僕のジャンベを叩きだす人がいる。おっきいの、ちっちゃいのって太鼓を叩きだす人たちがいる。
 
僕は、「運転しながら 電話しながら テレビ見ながら」って、大好きなシンガー、風太郎さんの歌詞を飛ばす。
あとを追って、「NAGARAー! NAGARAー! NAGARAー!」って、みんなが合唱をしてくる。
 
僕は、自分のジャンベを叩き出す。
すると、「この人はね。この町でトーキングドラムをやっている先生なんだよ!」って、女の子がホンマモンを連れてくる。
 
みんなどっかかしこから太鼓を持ってくる!
音楽に声をのせてくる!
日本語をまねて歌ってくる!
ピーヒャララって、笛を吹いてくる!
うまいヘタ関係なしに勝手に僕の歌にまぎれこんでくる!
 
 
一生の思い出の最高のセッションタイムだった。
まるで夢心地のような時間が過ぎ、あたりがぼんやり暗くなった頃、自然と集団は解散した。僕は残った2人のアフリカ人と言葉を交わすこともなく、ただただ静かにアフリカ最先端の岬に沈みゆく夕日を眺めていた。
 
そのセッションの最中で生まれたのが、のちのち自分の代表曲のひとつにもなる「WEST AFRICA」である。
 
 
 
 
『WEST AFRICA』
 
懐かしいな Uh Yeey
懐かしい匂いがする この西アフリカの大地で
土の香りを身に包み 遠く遠くやってきた
Ahrica Africa Africa ah ah ah ah ah
 
風を追いかけた Uh Yeey
いつの日にか憬れていた あの西アフリカの夕日を
原始リズムを刻み込み 強く強く踊りだせ
Africa Afrika Africa ah ah ah ah ah
 
WEST AFRICA, WEST WEST AFRICA
WEST AFRICA, I'm lolling lolling lolling stone
WEST AFRICA, WEST WEST AFRICA
WEST AFRICA, Hah
 
 
 
 
 
 
 
 

さぁ、言ってみろ! ~ memory of africa 2 ~

Samayou2
 
 
2000年10月、23才。
 
 
 
とうとう未知なる無知なるアフリカ大陸へやって来た。
 
ヨーロッパで過ごした常識という常識はすべて吹き飛んだ。
 
夜はまたTシャツ一枚で過ごすことになる。
 
 
 
初日、セネガル空港に降り立ったとき、言い寄ってくる一人のアフリカ人。
 
日本を発ったときには、予定に入れていなかったアフリカ。
 
右も左もわからないぼくは、彼に寄り添った結果、100$札を騙された。
 
 
 
アフリカへ着いたその晩は、宿の屋上でまあるい月を見上げながらジャンベを叩く。
 
翌朝、自力で進む決意をし、日本の廃車を改造したボロタクシーをとめる。
 
破壊されたドアノブ、銃弾で撃ち抜かれたフロントガラス。
 
「よくあることだ。」
 
クールに返答する運ちゃん。
 
 
 
乗り合いトラックの荷台に身を移した。
 
20人ほどのアフリカ人たちが同乗している。
 
とりあえずYMCA(世界中に点在するドミトリーの安宿)に行きたかった。
 
でもまわりは誰一人としてカタコトの英語もしゃべれない。
 
元フランス領であるセネガルは、自国語以外にフランス語が公用語だがさっぱりだ。
 
ぼくはこれから大丈夫なのだろうか、このまま先に進んで無事に日本に帰れるのだろうか、今すぐにでも脱出したい、日本に帰りたい、葛藤がよぎる。
 
 
 
一時間ほどトラックに揺られ、降り立ったところは砂に埋もれた町。
 
そばにいた一人の少年に、ジェスチャーで宿を探していると問いかけ案内してもらった先は、青空の下のジャンベ工房だった。
 
そこで知り合った一人の青年が、
 
「俺のうちに泊まってきなよ。」
 
と言うので、世話になることにした。
 
 
 
いざ、セネガルからマリへ出発。
 
青年は、乗り合い車のターミナルで、
 
「俺に任せなよ。安く交渉してくるから。」
 
ぼくは彼を信用したが、移動中の車の中でほかの乗客に切符の値段を尋ねると、通常値段の1.5倍くらい支払っていたことを知る・・・。
 
 
 
2週間ほどかけて、マリからギニアへ行った。
 
もう誰も信用できない。
 
でも、何度騙されても、ぼくは人を信用したい。
 
葛藤がうずまく。
 
 
 
ギニアについた朝。
 
波止場でボーっとしていると、一人のアフリカ人が寄ってきた。
 
二度も辛い騙しにあったことの愚痴をもらしたあと、彼と世間話をした。
 
「ジャンベをしている人たちに会いたい。」
 
地図を書いてもらい、バスに乗って、山道を歩き、着いた先は・・・。
 
また騙された。
 
 
 
ぼくはムシャクシャしたオーラをふんだんにかもし出しバスに乗った。
 
バスの中で、地元の紳士なおじいさんが話しかけてきた。
 
「おい、若いジャパニ、どうしたんじゃ?
 
わしは若い頃、ロンドンへ仕事に行ったことがあるんじゃがな、
 
はじめて行ったとき、君と同じような仕打ちにあった。
 
悔しい思いをしたもんじゃ。
 
でもな、悪いやつばかりじゃないぞ。
 
あとでやさしさを受けたときは、ロンドンに対する信用を取り戻したもんじゃ。」
 
おじいさんはギニアにある日本大使館の場所を教えてくれ、ぼくはそこでバスを降りた。
 
 
 
大使館でお世話になったお兄さんには、さんざんな出来事を聞いてもらっただけじゃなしに、アフリカの諸事情を教えてもらったり、外食でてんぷらと寿司をご馳走になった。
 
おかげで精神は復帰したけれど、あのモヤモヤは消えていない。
 
 
 
ふたたび2回目の騙しにあったセネガルの乗り合い車のターミナルへ行った。
 
そこで通常の運賃を確認したあとに警察を尋ねたが、やっぱり返ってくる答えは、
 
「よくあることだ。」
 
 
 
納得がいかないぼくは、青空の下のジャンベ工房にまで行った。
 
人づてにあの青年を呼び寄せ、彼を待っている間、ぼくは空手のシャドーで体をほぐすと同時に威嚇をまわりに漂わす。
 
その姿を見ているギャラリーは、このジャパニはそうとう怒ってるんだ。今からなにがはじまるんだ!? さらにギャラリーが増える。
 
 
 
ぼくは、青年と対面に座り、話し合った。
 
「キミは貧乏旅行と言ってても、世界一周をしている最中だろ。
 
俺らなんて、一生行きたくても行けないもんさ。
 
金を持ってるやつから、金を騙し取ってなにが悪い?」
 
 
 
・・・あきれた。というか、これがこの国の考え方なんだろう。
 
当時のぼくには一切理解できず、もうこれ以上話すこともないと、そこを立ち去った。
 
国には国の事情があるだろう。
 
でも、ぼくにもぼくの事情がある。
 
さぁ、言ってみろ!
  
 
 
 
 
 
 
 
『さぁ、言ってみろ!』
 
 警察が 街中を
 ゆくアテもなく 歩いてる
 悪いやつが いるはずだ
 そいつはだれ? そいつはだれ?
 
 なんだこの町は!?
 なんだこの国は!?
 さぁ、言ってみろ!
 さぁ、言ってみろ!
 
 
 銃声が 聞こえるよ
 少年の ポケットにナイフ
 ゆくてを はばむもの
 そいつはだれ? そいつはだれ?
 
 なぜ キミは そんなに 笑う
 なにが おかしい 言って みろ!
 友情 カネ 信頼 ウソ!
 なぜ キミは?
 
 なんだこの町は!?
 なんだこの国は!?
 さぁ、言ってみろ!
 さぁ、言ってみろ!
 
 ただ楽しく・・・
 ただ歩きたい!
 さぁ、言ってくれ!
 さぁ、言ってみろ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2011年11月23日 (水)

親あってこその自分だ。
 
 
 
だから、
 
親に感謝を伝えたかった。
 
 
 
旅行という形でくらいしか
 
表現が思い付かなかったけど、
 
とても喜んでくれたようで
 
よかった◎
 
 
 

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古い町並みを歩いていると、蕎麦屋と拉麺屋が目立った。
 
一日目の昼は蕎麦、二日目の昼は拉麺を食べた。
 
どちらのスープもスッキリ飲みやすく、調味料に余計さがなかった。
 
一口飲んだときは、もっと味を効かせたらいいのに、などと思ったが、飲むにつれて、その素朴な味に惹かれていった。
 
 
 
答えは水にあった。
 
飛騨地方のスープは、幾千万年の刻をかけ、アルプス山脈に濾過された源流水からつくっているようだ。
 
 
 
[人]に[良い]と書いて[食]になる。
 
そして、生物の原点は水にある。
 
この日ぼくは、[水]という調味料の存在を知った。
 
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北海道~本州~四国~九州~沖縄。
 
いろんな旅のスタイルで、ちょこちょこっと足を伸ばしてきたが、[日本の屋根]は、まだ歩いたことがない。
 
 
 
はじめて奥飛騨を訪ね、ロープウェイに乗ってアルプス山脈の玄関口に片足を向けた程度のことだが、いつの日か夏の登山に試みたいと気持ちが傾いた。
 
草木なく切り立った山岳の頂の線を歩いていくのだが、いくつもの山荘が一本道に構えているので、危険を要することはなさそうだ。
 
冬季でもないかぎり、夏の穂高岳、槍ヶ岳らをめぐる登山は、[行こうと思えば行ける場所]と知った。
 
ただ、ひとつ条件がある。
体を健康に保っておくことだ。
 
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じつは、今に思ったことではない。
高校生の頃から「行けたらいいな。」と思っていた場所。
それが今、「行こう。」と変わった。
 
[日本の屋根を歩いている自分]をビジョンできるようになった。 
 
その気持ちがあればいい◎ 
 
 
 
 
 
 

北アルプスの麓、
 
木曽川の支流、
 
季節は冬のはじめ。
  

 
露天風呂に浸かり、
 
立ち登る湯気を
 
淡々と見ていた…。
 
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大阪の波止場、
 
慕情の旧フェリーターミナル、
 
8年前の自分。
 
 

あるバーのカウンターに座り、
 
両手の親指と人差し指で
 
小さな額をつくり、
 
アジアのお香からあがる煙に
 
ピントを合わせると、
 
絶え間なく構図を変える
 
煙の芸術を見た。
 
 

そこには、
 
一瞬たりとも同じ絵はなく、
 
仮に、
 
一万年見ていてもそう…。
 
 

人、
 
心、
 
モノ、
 
自然、
 
時代、
 
世界…。
 
 

一瞬たりとも止まることなく、
 
同じことは一切なく、
 
絶えず変化をし続ける。
 
 
 
 

北アルプスの湯船に浸かり、
 
昔、
 
煙から教えてもらったことを
 
思い出した。。。
  
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晴れない日もある。
 
 
 
だから、雨には雨の
 
楽しさを探していたら、
 
幻想の世界に迷い込んだ。
 
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雨は霧になり、
 
霧は靄になる。
 
 
 
靄に包まれたぼくは、
 
雲の中を散歩していた。
 
 
 
真っ白の風景から
 
飛び出したところには、
 
見たこともない大きな虹が
 
顔を出してくれた…!!
 
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ノーレイン・ノーレインボー◎
  
 
 
 
 
 
 

音楽のチカラ。

今、車に乗って
 
奥飛騨へ向かっている。
 
古いタイプの車なので、
 
AMラジオしか聞けない。
 
 
6:30になると、
 
朝のラジオ体操が流れてきた。
 
「あ~たぁらし~いっ
 
 あ~っさがきたっ♪
 
 す~ば~らしぃ
 
 あ~さぁ~だぁ~♪」
 
 
子供たちの合唱に、
 
甦る記憶の走馬灯…。
 
 
 
家の前の公園、
 
夏休みの思ひ出、
 
友達と草野球、
 
駄菓子屋のおばあちゃん、
 
山の中へ虫採り、
 
田舎で川遊び、
 
飼い犬のケラー、
 
田んぼでオタマジャクシ…。
 
 
 
今日は、母親の還暦祝い。
 
運転は、嫁さん。
 
ぼくは、ペーパードライバー。
 
 
 
 
  
 

2011年4月24日 (日)

1995年のヒッチハイク

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ある春の日。

うちの向かいの公園に、一台の自転車とテントがあった。
そこには20代中頃の青年がいて、
沖縄から北海道まで自転車で旅している様子だった。
ラジオの天気予報を聞きながら、雨から逃げているという。
雨が過ぎるまでの4日間、
うちに泊まってもらったことが付き合いのはじまりだ・・・。






1995年、高校三年生の夏休み。
貯めたお小遣いと青春18切符を持って、
春に会ったお兄さんのいる北海道へ遊びに行くことにした。



家のすぐ前には、静岡県を横断する国道1号線が通っている。
冒険したい歳頃だった。
見晴らしのいいところまで歩いて行き、
コンビニの手前でヒッチハイクに挑戦した。
しかし2時間も手を振ったところで、一台も止まってくれない。
すぐにめげてへこんでなげてあきらめた僕は、
トボトボと背中を丸め掛川駅まで歩いていき、
その日の午後からは関東の行けるところまで電車に乗った。



深夜12時頃まで鈍行電車に揺られた。
終電で降りたところは、栃木県の小さな見知らぬ町。
電灯は暗く、地図さえ持っていない。
店も宿も閉まっている。
僕はふたたびヒッチハイクに挑戦することにした。

とりあえず県道か国道を探そうと、通りすがりのおじさんに声をかけた。
優しいおじさんは、近くの広い道路まで案内してくれた。

恥ずかしながら僕が胸手前で、小さな動作で肘から先を動かしていると、
情を感じたのかなにかを思ったおじさんは、僕の20メートルか前まで出て、
動作いっぱいに大きく頭上から親指を立て、手をぶんぶん振りだした。

するとすぐに一台の車が止まった。
人口の少ない町のためか、奇跡かはては偶然の一致か、
警察の検問と間違えたらしく止まった若いお兄さんは、
なんとおじさんと同じ会社で働く人だった。

「えっ。○○さんじゃないっすか!?
今時分、こんなとこでなにしてんすか?」

ドライブ好きなお兄さんは、明日が日曜で休みということもあり、
高速を朝方までずっと走ってくれた。
秋田まで来ると高速代がなくなったという理由でおわかれ。
優しすぎるお二人方だった。



秋田県からはちょこっと電車に乗った。
田園風景の真ん中を鈍行電車がゆっくり走る。
電車の中で宿題をする、黒髪のおさげをしたセーラー服の女子中学生たち。
駅を降り町を歩くと、聞きなれない東北弁の和やかな風景。

国道でも県道でない小さな道で、人生2回目のヒッチハイクをした。
今度は僕一人でつかまった。
営業で徘徊していたおじさんは、
仕事中にも関わらず桜で有名な公園へ寄ってくれ、
青森県と北海道を結ぶ津軽海峡の手前の駅まで乗せて行ってくれた。



函館まで海の下を走り、
雄大な昭和山を左に眺め、
のんびりゆったりと電車に揺られ、
キャベツ畑に夕陽が沈む頃、お兄さんの家に着いた。
場所は北海道の地図で言えば尻尾の部分、
勇払郡というところで、わかりやすく言えば千歳空港の近くにある。






3日間、お兄さんの家を拠点に過ごした。

かねてからムツゴロウ王国へ行きたいと思っていた僕は、
直接電話をしてみたが、事務所の人に一般の方は許可が降りないと断られた。

北海道を自転車で走ることがひとつの夢でもあった僕は、
お兄さんに自転車を借りてサイクリングをした。
キャベツ畑や近くの山、古く茶色い電信柱立つ田んぼ道、小川のある風景、
サラブレッドの牧場や森林を横目に、大自然の中でたっしょんをしたり、
「穂別地球体験館」という博物館に行ったりして一日中遊んだ。

別の日にはお兄さんのお母さんに、もっぱら観光旅行へ案内してもらった。
お母さんのお薦めする苫小牧のガラス細工工房や霧の摩周湖、
僕のリクエストにも応えてくれ、札幌時計台にも連れてってくれた。



着いて2日後の晩、
北海道に着いたこと、こんなことをしたという報告を実家に電話した。
すると僕の父親から予想だにしていなかった言葉が出た。

「見損なったよ。」

なんで?
高校生が一人で北海道まで来たことを、僕は両親に褒めてもらいたかった。

しかし、電話口で父親が伝えたかったことはこうだ。
我が息子なら人さまの世話にならず、
自力で北海道全土をあちこち旅していると思っていたらしい。

でも、この時の僕はそのことが理解できなかった。
悔しさと怒りの感情がこみ上げてきた。
帰りはとびっきりの冒険をしてやる。
うちまで全部ヒッチハイクで帰ってやる。
そして、その冒険談は父親には話すものか、と。
しょせん高校三年生、子供である。






お兄さんの家を離れると、登別まで電車に乗り、
「熊牧場」や「アイヌ民族博物館」に立ち寄り、
もう少しだけ北海道旅行を満喫した。



さて、こっからはヒッチで帰るぞ。
人生3回目のヒッチハイクで乗せてくれたのは、
大学生のカップルのさわやかなお兄さんとお姉さん。

澄んだ夜空に星があらわれる時間だった。
僕は、UFOはタイムマシン、宇宙人は未来からやってきた地球人だ、
という、僕の持論、「宇宙人未来人説」の話を聞いてもらった。

「いやぁ、面白い話をありがとう。
僕らちょうど刺激を求めてたとこでさ。」

そういうこと「さ」。
そうなの「さ」。
北海道の人たちは語尾に「さ」をつけるクセがある。
やさしくてあたたかい方言だ。

このあたりからヒッチハイクに対するポリシーが生まれてきた。
最初にできたのは、
乗せてくれた人に、この子を乗せてあげてよかったなぁ、
と思ってもらうことだった。






帰りの津軽海峡はフェリーで渡った。
手元にお金はそう無かったが、もっと自分を追い詰めるために、
あえてこのフェリーターミナルでうどんを食べ、お菓子を買いほぼ使い切った。
青森に着くと自販機でジュースを買い、とうとう僕は無一文になった。
保険として青春18切符はあるが使わずに過ごしたい。
なんとしてでもヒッチハイクで家まで帰る冒険を成功させてやる。
父親の真意も知らずに、なんて露骨な反骨精神だ。



青森から岩手まで乗せて行ってくれたのは、
30代前半の旅好きな農業大学の先生だった。
普通にこの日は仕事だったので、途中に先生が勤務する大学へ寄って行き、
僕は先生が授業をしている間は、大学内をうろうろ散策していた。
農業大学だけに牛やヤギが飼われていたりしてて面白かった。

夕方からふたたび車に乗り走り出すと、
これから20代をすごして行く僕に対して、先生は深いメッセージをくれた。

「男ってのはな・・・、
30代に入ったらそうそう変わることができない頑固な生き物だ。
柔軟な20代のうちに自分の個性を形成させてけな。」

この一言がそれからの僕を弱冠動かしていったことは過言ではない。
30代に入った今、
先生の言っていたとおりなかなか自分を変えようと思ってもできなくなった。
でも僕は20代の頃に、ハチャメチャに自分つくりをしてきたつもりでもいる。
そんなことを今となってつくづく思ったりする。



宮城県では初めて高速の手前でヒッチをした。
小学生の息子さんと娘さんを連れた、4人家族のボックス車に乗せてもらった。
青春時代だからこそ可愛げのある話でもあるのだが、
無一文の僕は車に乗せてもらうたびに、なんやかんやと弁当をもらったりしてた。

続きはふたたび高速の出入り口でヒッチをし、福島県から東京までの長距離を、
なにかエネルギーを感じる埼玉県在住のお兄さんに乗せていってもらった。
その何年後かに連絡を取った時、アメリカ大陸を車で横断してきたと言っていた。



僕は深夜12時過ぎに大都心東京を徘徊する。
ところどころで手を振るが、都会ほどヒッチが難しい場所はないと思った。
けれど負けてなるものか、ゴールはもうすぐだ。
3時間後、Kトラのおっちゃんが僕をひろってくれた。

「築地港に行ったらいいぞ。
そこに行けばわんさかトラックが集まってる。
たぶん、静岡行きのトラックもあるんじゃねぇか。」






早朝が一番の活気時の巨大な漁港だった。
聞いたとおり大きなトラックが山ほど並んでいた。

一台の静岡ナンバーを見つけ、
理由を話し乗せてくれるよう頼んだところ、

「そんなやつぁいねぇよ!!」

と大きな声で怒鳴られた。
・・・もうここ無理ッ!
僕は半べそをかきながらトボトボその場を立ち去った。
すると、後ろから二人の東南アジア人が走り寄ってきた。

「さっきの人、兄弟で運送屋してるんデス。
あの人は弟デ、兄貴は弟より優しいんダ。
今、僕たちで兄貴にお願いしてくるカラ、
ちょっとここで待っててヨ。」

すぐに彼らは折り返してきて、

「君を乗せて行ってくれることになったヨ!」



三島行きのナンバーのトラックの助手席で出発を待っていると、
さっきの東南アジア人の二人が、
近くのファーストフード店で買ってきた、
ハンバーガーとジュースを手渡してくれた。
僕が無一文のことを知ったためか、
ジャラジャラと片手に持っている小銭も渡してくれようとしたが、
遥々遠い外国の故郷から彼らは出稼ぎに来ていると察しがつく。
さすがにお金は丁寧にお断りしたのだけど、
僕はハンバーガーを食べながら、嬉しくてちょっと泣いていた。






通勤ラッシュが過ぎた頃にトラックは三島に着いた。
ここまで来るとヒッチハイクのコツをつかんできていた。
僕なりにヒッチポイントがわかってきたのだ。
釣りにたとえたら想像しやすいと思う。

北海道からの最後のヒッチは、今でも正確な数を覚えている。
白のKに乗った気のいいおばさんは、
手を振ってからわずか7台で止まってくれた。
これから浜松まで行くというので、
うちのすぐ近くある国道一号線で降ろしてくれ、
そこからわずか3分ほど歩くと、昼飯時に家路に着いた。






・・・以上、高校三年生時の懐かしい思い出話だ。
あの時の父の一言が僕を動かしてくれたと思っている。
感謝に尽きない。

7台の車を乗り継いで2泊3日で帰ってきた翌日には、
岐阜県でマウンテンバイクの大会に参加する予定があった。
早くに北海道から帰ってきたのには、これらの理由もある。
続いて県内の高校から富士山麓のロッジに集まって英会話の合宿キャンプ。
さらに続いて、似た内容で、今度は掛川市の施設で科学の合宿キャンプ。
とても実りある学生生活最後の夏休みを過ごしていた。

冬休みには、静岡県内の高校から30歳までの青年400人が、
ひとつの船に乗って清水港から香港へゆく「青年の船」に参加。
春休みには、一人勝手に高校の卒業記念として、
静岡県の伊豆半島の全市町村を、テントと寝袋を持って自転車で回った。

高校を卒業すると進学も就職もせずに、
当時としては珍しかったフリーターの道へいった。
時給のいい工場でお金を貯めると、
19歳の冬に自転車で日本一周を目指し走り出した。

近年に一冊の『JAN BOOK(仮)』を完成させることを目標に、
ボチボチと過去の物語を引っ張り出していこうと思っている。

04月22日

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2011年2月15日 (火)

たかゆき三昧の日々 ~世界一周に旅立つ友人へ捧ぐ~

来週の火曜、2月1日に大阪の伊丹空港からブラジルのリオへ飛び立つ友人がいる。
名は、たかゆき。10年来の友人だ。
大阪の北新地で14年間、ストリートミュージシャンで生計を立ててきた。
言うなれば、その世界においては日本一の男だろう。
数日後、その仕事にもピリオドを打ち、約1年から1年半にかけ、念願の世界一周の旅へ出る。
彼の一心不乱に貫いてきたストリートミュージシャンの生き様は、彼のブログにほぼ書かれている。
僕は、一ファンとして彼の文章を愛読しているが、逆に言えば文章のライバルとも思っている。


ここ一週間は、たかゆき三昧の日々だ。

先週の土曜、彼の部屋の片づけを手伝い、ラーメンを御馳走になった。
次の日、日曜は、仲間内でホームパーティーを開き、たかゆきの送別会をおこなった。ゆうちゃんとみおちゃんがつくってくれた手料理をみんなで御馳走になった。
月曜、仕事が終わり、ローラーブレードで帰る途中、旅行品の買出し中の彼と遭遇し、引き続き薬局へ付き合い、マクドを御馳走になった。
・・・御馳走になってばかりの僕、どっちが旅立つねん!って感じで、すんません。。。
昨日、火曜の夜、僕の仕事先へ友達とお茶をしに来てくれた。
そして、出発前日に自分の部屋を引き払うたかゆきは、1月31日、うちに泊まり、なんと翌日は僕の家から世界一周のスタートをきることになった。

でもね、そりゃ淋しいのは隠せない。
こうやって遊べるのもあと数日のこと。


たかゆきへ。
世界中でおもいっきし遊んできてね!
文章のライバルとして(もし、一方的に思ってたらごめんちゃい)、たかゆきがこれからする世界の旅、、、「読むこと」を一番の楽しみにしているよ。
君に幸あれ!        JAN




■blog『ノーレイン ノーレインボー ~ストリートミュージシャンたかゆきの物語~』
http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/
2011年01月27日